こんにちは。
今年の1月から、高齢独居の父👴との同居を開始し、「ケアマネ」や「調査員」という介護職から、工場勤務に変わりました。
正直、父以外の高齢者と関わる機会が減り、「自分が感染源になる💦」という、コロナ感染への恐怖感はとても軽減しました。
もちろん、父が「高齢だけれど元気」ということが大きいのですが…。
🍀🍀🍀
9/1(金)に近隣の「発熱外来」を行っている個人病院へ電話をかけました📱💦
👩「発熱と喉の痛みがあり、検査キットで陽性っぽい結果が出たので、発熱外来を受診したいのですが…」
🧑「はいわかりました。病院内へは入れないので、自宅の車で来てもらい、車内で検査を受け、待ってもらうことになります」
👩「あぁ…自転車なのですが、いいですか?」
🧑「かまいませんが、外で待ってもらうので、大丈夫ですか?11時に来てもらい、外から電話をかけてください。こちらから出て行きます。保険証と電話をお持ちくださいね」
電話を終えてから、隣のリビングにいる👴に電話で、病院へ行くことを伝えました。
症状が出た翌日を1日目と数えるため、3日目に当たり、熱は下がっていましたが、まだフラフラの状態です💦
着替えや準備をして、炎天下の中をゆっくり電動自転車で、病院へ向かったのですが…。
やはり、ぼーっとしていたようで、11時と言われたのに、10時に行ってしまいました😭
一応、病院前から電話してみましたが、「発熱外来」は11時からのため、出直すことになりました。
早い帰宅で驚いている👴に、「時間、まちがえた」とだけ、二重マスク越しに声をかけて、そそくさと部屋にこもります。
そして再度11時に病院へ行き、駐車場の奥に自転車を止め、植木前の塀に座って電話をかけました📱💦
駐車場には車が2台とまっていて、病院内から出てきた医師と看護師さんが、説明や検査を行っていました。
もちろん防護服に手袋姿で、検体もすぐにビニール袋へ…。
あの感覚が…「あなたは危険人物」と隔離される、あの感覚がフラッシュバック😭
モモの順番もすぐに回ってきて、同様に鼻から検査が行われました。とても痛かったので、確実に採取されている予感。
待ち時間の間に、やはり暑さとしんどさでクラクラしてきました。もたれないと倒れそうで、結局地面に座って待つことに…。
記録のため必死の自撮り💦 足がガリガリになっていて、自分でもびっくり。
20分程でしょうか、しばらくしてまた医師と看護師さんが現れました。
👨⚕️「モモさん陽性でしたよ。はい、写真撮ってもらっていいですよ」
👩「あっ…はい、では…カシャ📱💦 ありがとうございます」
👨⚕️「酸素飽和度、測っておくね。はい、指を…うん、99%やから大丈夫」
👨⚕️「まぁ今は風邪と同じで、前のように肺までの炎症じゃないからね、前よりは楽でしょ」
👩「はぁ…」
(この時はフラフラだったので、楽と言われても…という感じでした。でも、確かにその後の経過は楽でした)
👨⚕️「お薬はね、熱や痛み用の薬と、うがい薬、あと気管支を拡げる貼り薬、呼吸が楽になるからね、出しておきますね」
👩「はい、これ(ホクナリンテープ)は使ったことがあります。ありがとうございました」
👨⚕️「うーん、おうちは大阪?」
👩「はい、今は父の介護でこちらで同居してるんです」
👨⚕️「あぁ、それはお父さんが心配やね💦」
そうなんです。だから、こもってます…。
月曜日までは、雨戸も閉めっぱなしでした。母の部屋にエアコンをつけておいてよかった…。
父には母が感染した時のように、本当は自分の部屋にいてほしいけれど、
👴「向こうの部屋におった方がええねんけどな…」
👴「こっちの部屋の方が落ち着くから、こっちにおるわ…」
👴「マスクしてるで」
(カメラで見ても、タバコ吸ったり寝てたりで、ほとんどマスクは外しています😭)
という父に、原因を持ち込んだのはモモなので、ムリは言えません…。
この部屋に父が門番のようにいて、向こうの引き戸の奥にモモがとじ込もっています💦
ハイリスク者への感染予防は10日間必要ということなので、あと3日入院してる時のような生活を続けます。
父へ感染しませんように…🙇♀️ ただそれだけ。
🍀🍀🍀
介護の現場から離れて、コロナの感染源になる不安感からは、少し解放されつつあったのですが、
今回またコロナに感染し、見えないところでずっと戦ってくださっている、医療職や介護職の方々に申し訳ない気持ちと、感謝の気持ちでいっぱいです。
ごめんなさい、そしてありがとうございます🙇♀️
コロナ前の生活に戻っていくこと、それは大切なことだけれど、見えないところでずっと、がんばってくださっている方々のことを、忘れてはいけないと強く感じました。