認知症ママとケアマネ娘の介護離職日記

ヘルパー・ケアマネ・訪問調査員の仕事を経験し、現在は2回目の2拠点(実家と自宅)生活中。特養の母、同居中の父との生活をつづります。 当ブログはアフィリエイト広告を利用しています。

思い通りにいかない休日😭

こんばんは。

また雨降りの週末のうえ、今日は月1回の土曜日出勤で、スピードの早い作業にはなかなか慣れず、ぐったり疲れました…。

🐶(まぁ、シニアですからねぇ…)

 

🍀🍀🍀

 

土曜日出勤の代わりに、木曜日が振替休日となり、お休みだったのですが、この日は何だかダメダメの日でした。

(;∀; )

 

アトピーの内服薬が少なくなっていたので、大阪に帰った時に、いつもの皮膚科へ行くか、実家の近くの病院へ行くか、迷っていました。

月1回のせっかく我が家へ帰れる日に、通院で時間を使いたくないので、

平日が休みになった木曜日に、実家の近くの病院の皮膚科を受診しました。この病院の受診は2回目です🏥

 

普段あまり混んでいない病院なので、10時頃に受付をして、皮膚科の待合室へ行くと…

車椅子や杖の高齢の方々👴👵と、施設のユニフォームを着た職員さん👨👩で、いっぱいでした💦

(あちゃー、これは時間かかるわ😭)

 

受付も済ませていたし、時間をつぶす場所もないので、端の方の椅子に座って待つことにしました。

 

👨「○○さんは、何年生まれ?」

👴「昭和○年や」

👨「その頃、戦争はあった?」

👴「うん、シナの方でなぁ…」

👨「シナ?あぁ、中国かな?僕らよくわからんからなぁ…」

👴「あの頃はなぁ、あ~でこ~で…」

👨「うん、うん」

 

👩「○○さん、もうすぐ呼ばれるからね」

👵「…」

👩「あらあら、倒れてきたねぇ。ちょっと直そうね。よいしょ」

👵「…」

👩「もうちょっと待ちましょうね」

👵「…」

(👵は言葉は出ないようで、👩の顔をじっと見ておられました)

 

病院から少し離れた場所の「特養」の方々でした。あちこちで職員さん達が、「声かけ」や「話し相手」をされていました。

モモは1回目の「実家暮らし」で、「サ高住」のケアマネをしていた時に、その「特養」に行ったことがあります。

田んぼの中にある古い感じの「特養」で、交通の便も良くないのですが、「職員さん達がとても良い」ので、びっくりしたのを覚えています。

 

介護の職場はどこも人手不足で、特に「施設」は人が足りていないのですが、

この「特養」の職員さん達は、若い方も多くおられて、みんな生き生きと輝いて見えました。

👴👵もみなさん笑顔で、ニコニコされていて、壁には学校のように習字や絵の作品が、たくさん貼ってあり、ほっこりしました。

 

「特養」の方々の診察が終わると、待合室はガラーンとなり、父とよく似た「イデタチ」の高齢男性2人👴👴と、モモが残りました。

実家の近所は高齢化のため、父とよく似た「イデタチ」の高齢男性👴が多いのです。

その「イデタチ」とは、つば付きのキャップ、めがね、チェックのシャツ、カーキ色のパンツ、スニーカー。

↓草刈り中の父の「イデタチ」

  (靴は長靴ですが…😅)

 

待合室の椅子はつながっていたのですが、何やらドンドンと揺れるのです。

(ん?なに?待ち時間が長いから、👴がイライラして貧乏ゆすりしてる?)

それにしても、何度もドンドンと強く揺れるので、モモは後ろの椅子に移りました。

 

モモはスマホを見ていたので、気付かなかったのですが…

テレビで椅子に座ってする体操をしていて、それを見ながら2人の👴👴も足を上げたり、足ぶみしたりしていたのでした😅

 

左側にもう1人の👴がいて、はじめモモは右端の椅子に、座っていたのです。

そりゃ、横で2人が座って体操していたら、椅子はつながっているので、揺れるわけです。

父の「イデタチ」と似てますよね…。もう1人の方も似てました😅

 

その後、やっと診察になり3分どころか、1分ぐらいの診察で終わりました。薬局で薬をもらうともう、お昼を過ぎていました😭

 

🍀🍀🍀

 

午前中に、買い物や他の用事を済ませたかったのですが、病院に時間がかかってしまい、

昼からも思い通りに行かないことがあり、ちょっとブルーな1日でした。

けれど、「特養」の職員さんと👴👵の姿や、やりとりを見て懐かしく感じ、またいつか介護の仕事に戻りたいな…と思いました😊

 

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