認知症ママとケアマネ娘の介護離職日記

ヘルパー・ケアマネ・訪問調査員の仕事を経験し、現在は2回目の2拠点(実家と自宅)生活中。特養の母、同居中の父との生活をつづります。 当ブログはアフィリエイト広告を利用しています。

「葬儀」と「移送」を2社の葬儀社へ依頼👵

こんばんは。

3/27(水)から「特養」での看取りを開始した母👵は、みんなに見守られる中、4/6(土)13:55頃に息を引き取りました。

 

が…

 

主治医(往診医)の先生が、東京の学会へ出張中で、帰りが翌日の夜になることがわかり、「死亡診断書」の記入はそれからとなることに…💦

 

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🍀🍀🍀

 

看護師さん👩‍⚕️から話がありました。

👩‍⚕️「すみません、先生が東京の学会に出張中で、帰りが明日の夜になるようです」

👩「あ…そうなんですね💦」

👩‍⚕️「主治医が戻ってから、死亡診断書の記入となりますので、死亡日時もその時間になります」

👩「そうですよね…」

 

👩‍⚕️「今からお母様の処置や更衣を行い、保冷剤を入れ、居室もクーラーを強く入れて冷やします」

👩「でしたら、私達はいったん帰って、明日の夜に来たらいいですかね?」

👩‍⚕️「はい、居室は寒いので過ごすにはちょっと…💦 明日、先生から連絡があってから、電話でお知らせしていいですか?」

👩「わかりました。では、よろしくお願いいたします」

 

職員さん🧑‍🦱も来られました。

🧑‍🦱「お母様が居室におられる間、職員があいさつに居室へ入ってもいいですか?」

👩「もちろんです。本当にみなさんにお世話になって…。会ってもらえたら、とても嬉しいです😭」

職員さん達は夜勤があったり、休みがあったり、家族が居室に寝泊まりしている間は、遠慮もされていたと思います。

翌日の夜までは、母が居室にいることで、お世話になった職員さん達と母の、「お別れの時間」が持てることになりました🌸

 

14:30頃に「特養」を出て、次男は自分の家へ、ダンナ・モモ・長男は一緒にタクシーで家へ帰りました🚕

みんな悲しみよりも、やりきった感の方が強く、不謹慎かもしれませんが、「ふーっっ、終わった…」という感覚でした。

(  -。-) =3

 

家に帰ってから、モモは「葬儀場」と「移送依頼」の電話を📱💦

葬儀は実家の近くで行うため、葬儀を行う葬儀社に移送してもらうと、時間も料金も往復になり、倍かかってしまうので、大阪の葬儀社に「移送のみ」依頼することになっていました。

ややこしいですよね😅

 

【葬儀を行う葬儀社に依頼の場合】

葬儀場(兵庫県)➡️大阪の特養➡️葬儀場(兵庫県) …高速利用・往復2時間ほど

【大阪の葬儀社に移送のみ依頼の場合】

葬儀社(大阪)➡️大阪の特養➡️葬儀場(兵庫県)…高速利用・片道1時間ほど

葬儀社に「移送だけ」を依頼できることは、今回初めて知りました。葬儀社に問い合わせた時に、「そうした方が良い」と教えていただきました😊

 

👴は自分の近い親戚へ連絡をしていたので、モモは母の近い親戚へ連絡をしました📱💦

本人と父の希望で家族葬を行い、お香典やお供えもナシでお願いしたいことも伝えました。

会社へも連絡し、同様に弔電等もナシでお願いしました。コロナ渦で「コレ」が浸透したことは、とてもありがたかったです😊

 

そして、全ての連絡を終えて…

👩「焼肉、食べたい…」

ダンナ・長男🧔「いいよ…」

またまた不謹慎かもしれませんが、行きました、食べました、飲みました🍺

そういえば、ずっとパンやお弁当の食事、そしてアルコール抜きの生活でした…。

その夜は21:00頃に、簡易ベッドではなく自分のベッドで、久々に熟睡したのでした。

 

🍀🍀🍀

 

翌日4/7(日)は、3/30(土)に沖縄から来て毎日👵の見守りを続けてくれた🧔が、沖縄へ帰るため8:00過ぎに家を出発しました。

👩「ありがとうね。本当に助かったよ。気をつけて帰ってね」

🧔「オレもお葬式とかには行けないけど、ずっと一緒にいられて満足したよ」

 

その後は、お通夜や葬儀のあと妹と交代して、実家で👴と生活するための、荷物の準備などをして、

以前、さっと目を通していたこの本を、ゆっくり読み直しました。

 

 
「令和版」が出ていますね。モモの本は「2021年版」ですが、法律なども変わるので、買う時には新しい物がオススメです😊
 
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